06.12
【World MR News】服部桂氏、廣瀬通孝氏、GOROman氏によるトークセッション! 『VR原論』刊行記念イベント「VR生誕祭」レポート②
5月22日に発売された書籍『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』を記念して、6月7日に開催されたイベント「『VR原論』刊行記念イベント」。その第2部として実施されたのが、『VR原論』の巻末でも掲載されていた服部桂氏、廣瀬通孝氏、GOROman氏の3名によるトークセッションだ。
――何が魅力でVRにハマっていきましたか? また、好きなポイントとそこからどう変わったのか。今でも愛しているところを教えてください。
服部氏:廣瀬先生と僕は80年代からやっていて、どうみても怪しいですよね。真面目なコンピューターサイエンスじゃなくて、どうみても主流ではありません。本を書くつもりはなかったのですが、面白いから新聞に書いていたら本にしろと言われてやることになりました。
最初は、なんと例えればいいのかわかりませんでした。VRの中に入ればわかりますが、外から見ているとこの人おかしいのではないかと思われます。
――ジャロン・ラニアーさんは、どんなコンテンツを作っていましたか?
服部氏:鏡の国のアリスの世界に行くように、現実世界は辛いけどVRの中に入れば、リッチになってマンションに住んでみんなで遊べるという発想です。元々ジャロンさんが作っていたのは、エアギターをするためのデバイスです。エアギターは音が出ませんが、センサーを付けることで迫力が出ます。音楽だけではつまらないので、中も動くにようにするというところから始まっています。西海岸の人たちは、ドラッグカルチャーですが、そちらはなかなか抜け出せませんが、こちらはスイッチを切れば大丈夫です(笑)。
――30年ほどVRを見てきた中で、最近はどこに魅力を感じていますか?
服部氏:ハッキリとVRをフォローしていませんでしたが、GOROmanさんのところに行って『Qculus Quest』を付けたらびっくりしました。全然違いますよ。ものが速くなって軽くなって、何が起きているかわかります。昔は、相当想像しないとダメだったのが、誰でもわかるところまで来ているのは、すごいなと思います。「30年で何も変わってなかった。俺たちはえらい」といっていたことに関しては、ここで陳謝します(笑)。
――廣瀬先生のきっかけはなんだったんですか?
廣瀬氏:僕は鉄道模型や怪獣映画が好きだったんです。VRは基本的にそれに近いので、入り口はそこです。たまたまコンピューターサイエンスに携わっていたので、VRが来たのでこれだと思いました。
――最近面白いと思うものはなんですか?
廣瀬氏:質的には昔と変わっていません。それは、コンピューター全体がそうです。コンピューターの動作原理は、最初のENIACからいろんな人がノイマン型コンピューターを脱出するといっていましたが、まったく変わっていません。しかし量的に変わってきて、コンピューターは全然違うものになってきました。それと同じことがVRでも起こると思っています。
30年前に、某名誉教授に言われたことを思い出しましたが、1989年にアイバン・サザランドが1968年に発表したものを見せられました。当時は線画だったんですが、その時に「お前そんなのやってもしょうがない」とは言わずに、「僕らが見ていたものとは質的に違うものがあるんだろうね」とひと言われ、潰れることなく続けることができました。
ある意味量的なものが、質に転換していきます。コンテンツも第2世代は開発者側が作っていました。それを趣味の人たちが作り始めたり、自分たちで作り始めたりすると、ものすごく細かいところまでこだわります。そういう世界が、おそらくやってくると思います。
技術者として、インターネット2.0やウェブ2.0といわれていたことが、わかりませんでした。それは、技術は何も変わっていないからです。それがこれから起こり始めます。
――GOROmanさんがVRにハマったきっかけはなんでしたか?
GOROman氏:小さい頃からテレビゲームが大好きで父親がプログラマーでした。パソコンは普及していない頃でしたが。幼稚園の頃から任天堂のブロック崩しやカセットビジョンなど、変なものが沢山あり、それを自由に触れる環境がありました。
ファミコンやパソコンにも手を出して、その中に『ファミコン3Dシステム』という対応ソフトが5本ぐらいしか出ていない(※実際の対応ソフトは7本)デバイスがあったんです。これをファミコンに繋げると立体視が出来たのですが、その当時から何かを付けるのが好きだったんです。
ソフトが少なかったので、改造してX68000というパソコンに繋いで、立体視で遊んでいました。そんなこんなで、立体やVRに興味がありました。
クラウドファンディングという言葉がまだメジャーではなかった頃に、ゲームの中に入れるというコンセプトで、『Oculus Rift DK1』が出ました。その頃、ヘッドマウントディスプレイにセンサーを付けたり、『スカイリム』というゲームにパッチを当てて、頭を動かすと映像が見られるようにしていました。それをやっていた矢先に『Oculus Rift DK1』が出てきて、「これはすごい。しかも300ドルで、この体験が出来るのならだまされてもいい」と思い、購入しています。
これを作ったのは、パルマー・ラッキーという人で、彼は元々『ModRetro』というサイトを運営していて、これはファミコンなどのレトロゲーム機を改造するサイトだったんです。それで顔面にゲームボーイを付けていたりしました。
2012年8月1日にクラウドファンディングがスタートし、光りの速さでクレジットカード番号を入力しています。めちゃくちゃ遅延しましたが、届いたのが翌年のゴールデンウィーク前です。届いたものは、プロモーションビデオを上回っていました。だいたいPVの方がよく見える場合が多いですが(笑)。
『DK1』に関しては衝撃がありました。それを日本になんとか持ってきたいと思い、何度も渡米したり創業者に会いに行ったりしました。幸いなことに、オタクだったんです。日本の『ソードアート・オンライン』や『.hack』など、いわゆるVR系のアニメが好きで、本人もキリトのコスプレをするぐらいのガチ勢なオタクだったんです。
そのときに、めっちゃ持って行ったんですよ、フィギュアとか献上品を(笑)。僕の会社の社員が『ソードアート・オンライン』が好きで、彼の愛用していたフィギュアも詰めて、トランクの中ほぼフィギュアになっており、アメリカに渡って見せたら、お前らに任すと言われました。
そうしたら、フェイスブックに買収されて2年ほどフェイスブックの社員をやっていました。
――デバイスの進化もありますが、プレイヤーとしてどんな人たちが参加してきて面白と思いますか?
GOROman氏:パソコンの歴史に近いと思っています。廣瀬先生がおっしゃってたように、何億円もしたものが個人でも買えるものになりました。パソコンもそうで、僕の父親が汎用機などをいじっていたのが、パソコンになりました。そういう意味では、VRがパーソナル化したんだといえます。
パソコンの時もそうでしたが、結構馬鹿なことができるようになったなと思います。何億円ではなく5万円で買えるようになったので、コンテンツがどんどん増えていきます。学生でもバイトすれば買えますし、Unityなど開発環境も増えてコンテンツが作りやすくなっています。ここからどんどん、面白いコンテンツとかビジネスツールが増えていくのではないかと思っています。
――未来のVRデバイスや将来VRを使う人はどんな形になるのか、あるいはどういう形で進化するのか絵で描いてください。
廣瀬氏:これは『攻殻機動隊』みたいな電極が付いたものですね。基本的には心理学か生理学だと思っています。言われているほど神経直結のものはないので、いつ頃出てくるかわかりませんが、ここまでいくとカッコいいなと思います。
服部氏:これは、本を読んでいただくとわかるようになっています(笑)。これは4つの段階を示していて、昔のコンピューターは遠くにある建物だったのが、だんだん近くに来て、目の方に近くなり、ウェアラブルになるといような、自分のインナースペースに入ってくるようなイメージです。情報を見る視点が、遠くではなくより近いところに来ます。アップルウォッチなども24時間付けずに外してしまいますが、常に自分がどこにいてもコネクトしてヴァーチャル空間と繋がっている感じです。ヘッドマウントディスプレイをもっと軽くして、コンタクトレンズのように自分の目に入れるとか、将来的には目にレーザーを入れるというデバイスがあるので、自分が付けなくても目に写してくれるものもあります。
パーソナルコンピューターは全部自分の目で見ます。大きいコンピューターは偉い人の命令にしたがって自分が動いていますが、インターネットを使っていると新聞社もいるし銀行もいるし俺も部下みたいになってしまいます。究極にいうと「俺が宇宙の中心にいる」というように見えるようにするのがいいと思っています。
GOROman氏:VRデバイスってDoF(自由度)がありますが、最終的には0DoFになるんじゃないかと思っています。老後に寝たきりVRというか(笑)。この絵は(ヘッドマウントディスプレイの)鼻の隙間から書きました。アジア人の特権ですね。
今、人類は電車に乗ったり移動したりしています。VRで世界のほうが自分の方に来て欲しいです。そうすると、老後になっても楽しめるかなと思っています。
Photo&Words 高島おしゃむ
コンピュータホビー雑誌「ログイン」の編集者を経て、1999年よりフリーに。
雑誌の執筆や、ドリームキャスト用のポータルサイト「イサオ マガジン トゥデイ」の
企画・運用等に携わる。
その後、ドワンゴでモバイルサイトの企画・運営等を経て、2014年より再びフリーで活動中。