2019
01.10

【World MR News】苑田良博氏×村上健治氏×高橋忍氏によるパネルディスカッション――「Tokyo HoloLens ミートアップ vol.12~セガサミーさんに行ってみようスペシャル~」レポート②

World MR News

HoloMagicians/TMCN主催のイベント「Tokyo HoloLens ミートアップ vol.12~セガサミーさんに行ってみようスペシャル~」が、12月19日に東京・大崎のセガサミー本社内にあるコワーキングスペース「TUNNEL TOKYO」で開催された。本稿ではその中から、セガ・インタラクティブの苑田良博氏と村上健治氏、日本マイクロソフトの高橋忍氏によるパネルディスカッションの模様をお届けする。

村上氏は、「VR元年」と呼ばれた頃から誰もやっていないところに前のめりにチャレンジしていたという。また、会社の同僚には「VRスゴいんだぞ」というものを作って見せているのだとか。

セガ・インタラクティブの村上健治氏。

自己紹介代わりとして苑田氏からは、これまで携わってきたゲームのムービーが流された。最初に流されたのは1993年にリリースされたアーケードゲーム『スターウォーズ アーケード』で、この頃はテクスチャーも貼ることができない「MODEL1」で作られていたという。その後に手がけたのが、『電脳戦機バーチャロン』だ。2作目の『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』は「MODEL3」で作られており、フルカラーテクスチャーが使えるようになっている。

セガ・インタラクティブの苑田良博氏。

2002年には、XBox向けに『クレイジータクシー3 ハイローラー』をリリース。マイクロソフトの高橋氏を目の前にして、Xboxのゲームはあまり売れなかったという裏話も披露していた。その後、アーケードで世界初の1対1遠隔対戦が可能となった『頭文字D Arcade Stage 4』をリリース。その間スマートフォン向けゲームなどにも携わりながら、アーケードゲーム『SEGA World Drivers Championship』を2018年3月にリリースしている。

これまで様々なハードでゲームを作ってきたという苑田氏。時代に合わせてハードのスペックも上がり、サイズもどんどん小さくなってきている。もう少しすれば、高度なことができるようになってくると語った。 

VRはまだ途中でARやMRが早くコモディティ化して欲しい

高橋氏:今のXRはおふたりから見て、どう思われてますか?

村上氏:初めて『Oculus』や『VIVE』を体験した時点で、自分が妄想していた夢のリアルな体験だなと思いました。VRに関してはすごい体験なので、どんどん面白いゲームが出てきて欲しいと思っています。しかし、装着やスペースなど、友達と遊びにくいところもあり、もう一皮剥けたところでみんなが楽しめるものになると思ってやっています。

高橋氏:ゆくゆくはこれが主流の世界になっていくけど、まだまだ足りないところがあるという感じですね。

日本マイクロソフトの高橋忍氏。

村上氏:『HoloLens』を初めて体験したときは、一緒に体験している人の顔が見えると言うことで、これが裸眼なら未来が来るなというように感じました。

苑田氏:VRという考え方は、1970年代ぐらいからありました。ようやく技術が追いついてきて、現在のサイズに収まるようになりました。2年ほど前に「VR元年」と騒がれましたが、その間も人が望むものは常に進化しています。そして求められるものも、どんどん(ハードルが)高くなっています。

現在あるVR施設には、アテンダントが必ず付きます。それは世界中のどの施設でも同じです。目隠しされている状況がある以上、導入しにくいところがあります。『HoloLens』などMRデバイスでは、自分の視界を遮るかどうかは、コンテンツ次第になります。そのため、装着して周りを見てスタートですという状況が可能となります。ハードが進歩して、メガネほどのサイズに収まりコモディティ化すると、アプリケーションを万人が楽しむことができます。

映画に行くと3Dメガネが普通に配られます。ゲームセンターではコミュニティ作りが重要なので、そうした感じでゲームセンターに行くと配られて友達探しができたり、友達になれそうな人が吹き出しで出てきたり、あるいは新しい機種が出てきたときに吹き出しで表示されるといった感じでになると、いろいろと夢が広がりロケーションも変わってきます。VRはまだ途中で、その先にARやMRがあり早くコモディティ化して欲しいと、ずっと思っています。

高橋氏:VRはゲーム体験を深掘りしながら環境を作って、MRはゲーム以外の回りを追いかけていくということも流れとしてありそうですね。

苑田氏:何を表示するかは自由ですし、背景を遮断すれば自分だけの世界になります。背景が見えている状態になれば、インフォメーションにもなります。そういう意味では、いろんな使い方ができます。

高橋氏:プレイヤーの情報が見えるというようなことは、(会場にいる)ホロレンジャーの人たちも結構やりたがっています。『HoloLens』でお互い見るとツイッターのアカウントが表示され、誰かわかるという関係性があります。こうしたところが、MRやARの進む道になりそうですね。

『HoloLens』を入手し実験的にデモを作成

『HoloLens』を入手したときに、いろいろと遊んでみたという苑田氏。『三國志大戦』というアーケードベースに、キャラクターを表示させるというようなことも試みているという。原理としては、カードの裏にInvisible Codeが書いてあり、それをカメラで撮ってPosition Dataを渡し『HoloLens』で表示できるようにしているそうだ。

こうしたものを最初に作ってみて、次に実際のゲームに入れ込んでいる。ゲームをプレイしている本人には見えてないそうだが、背景なども表示。カードの動きに合わせて、実際の戦闘のようにキャラクターたちが動き戦いの様子がわかるようになっている。

しかし、これを突き詰めていくと筐体そのものがいらないことがわかったという。もしかして未来のゲームセンターは、今とはまったく異なる光景が見られるのかもしれない。

実際にこのデモを作った村上氏によると、元々もこのゲームを家で遊びたかったということもあり制作自体は楽しかったという。ゲームセンターにはギャラリー文化があり、上手いプレイヤーに人が群がる傾向がある。それをみんなで外から見たいと思いながら作ったそうだ。

アーケードゲームでは、ゲーム大会も頻繁に開催される。そこにMRを応用するという試みも行われている。選手の写真や3Dジオラマなどを駆使してギャラリー用に作ったそうだが、なぜだか評判はイマイチだったという。これは、あくまでも普段見慣れているゲーム画面とは大きく異なることが原因かもしれない。開発者がよかれと思って作ったものでも、上手くいかないことはあるということなのだろう。

負けているプレイヤーは炎上するという、凝った演出も盛り込まれていた。

 

おまけ:セガサミーさんのコワーキングスペース「TUNNEL TOKYO」もスゴかった!

このイベントはコワーキングスペース「TUNNEL TOKYO(htttps://tunnel-tokyo.jp/)」で行われていたが、これまた同オフィスのユニークなポイントとなっていた。なんと入り口は、まるで映画『トロン』のような感じになっており、その名の通りトンネルを通り抜けていく感じだ。 セガサミーホールディングスの清宮俊久氏によると、新しいことへの挑戦、Game Changerを目指す場所として、せっかくなら尖ったデザインにしようということから、こうしたスタイルとなっているそうだ。

トンネル部分は、行きと帰りではLEDの色も異なって見える。コンビニに行くのも面倒という人のために、ちょっとした食料もここで購入できるそうだ。

このトンネル部分は40メートルほどあり、イメージとしては『アウトラン』の「ビッグゲート」という面をイメージして作られている。そこに、昭和のSF風の要素などをあわせている。レセプションは旅に出発するというコンセプトとなっていたが、こちらは未来に出発するというコンセプトになっているという。

セガサミーホールディングスの清宮俊久氏。

コワーキングスペースの広さは424坪あり、この場所を企画した時に「Yahoo! Japan」のコワーキングスペース「LODGE」が400坪だったことから、それよりも広くしようという思いで、現在の広さになっている。更に会員はセガサミーグループ社員の共有施設である、社員食堂やライブラリーも使用可能となっていることから、それらも含めると1000坪以上のスペースが利用可能なコワーキングスペースとなっている。貸オフィスやフリーデスク、ドロップインなど、様々なプランで会員になることができ、絶賛会員募集中とのことなので、興味を持った方は、ホームページ(htttps://tunnel-tokyo.jp/)よりお問い合わせ下さいとのことだった。また、出入り口から3秒で行けるセブン‐イレブンは、なんとセガサミー本社内に作られたものだ。当然のことながらIDなどがないと行ける場所ではないため、かなりレアな店舗といえるだろう。

セガサミー本社内にあるセブン‐イレブン。社員の好みに合わせた品揃えになっているそうだ。

Photo&Words 高島おしゃむ
コンピュータホビー雑誌「ログイン」の編集者を経て、1999年よりフリーに。
雑紙の執筆や、ドリームキャスト用のポータルサイト「イサオ マガジン トゥデイ」の
企画・運用等に携わる。
その後、ドワンゴでモバイルサイトの企画・運営等を経て、2014年より再びフリーで活動中。