2020
06.05

【World MR News】ちょまど氏×中村伊知哉氏によるトークセッション“「漫画×テクノロジー」デジタルアップデートには漫画の力が必要だ”イベントレポート

World MR News

これからのエンジニアに必要な知識について、各業界の第一線で活躍しているトップランナーを招き、明日からの活動の原動力を養うためのトークショー「sight update session」の第11弾が、5月12日に開催された。

新型コロナウイルスが全世界的に流行しているなか、生きるためにはテクノロジーは切っても切り離せない時代になってきた。これまで、オフラインで開催されていたイベントの多くもオンラインで行われるようになるなど、テクノロジーの活用が行われるようになってきている。

そうしたなかで、デジタルの機能面だけではなく漫画やコンテンツ、クリエイティブなどが必要であるということをテーマに、 IT外資系企業に勤める エンジニア兼マンガ家の“ちょまど”こと千代田まどか氏と、iU学長を務める中村伊知哉氏が登壇した。

(ちょまど氏「私の発言は個人の見解であり所属する組織の公式見解ではありません。」)

▲左上から、司会を務める西村真里子氏とちょまど氏、中村伊知哉氏。

ちょまど氏がプログラミングに目覚めたきっかけは、大学入学祝いとしてパソコンとペンタブを一緒に買ってもらったことがきっかけだった。文系の大学だったが、自分の描いた絵を世界に発信したいと考え、自分のサイトを作りはじめた。そのサイトを作るために、HTML、CSSなどからプログラミングに触れ始めたそうだ。また、サイトに動きをつけたかったため、JavaScriptも学び、広告のないサイトを作るためにサーバ構築も行っている。

自らの煩悩を実現するためにプログラミングを学び始めたことが、現在の活躍に繋がっているというわけである。

一方の中村氏は、ちょまど氏のような人を育てたいと思い新しい大学である情報経営イノベーション専門職大学(iU)を作っている。ポップカルチャーとテクノロジーを融合した新しいジャンルを作るということを、自らのミッションにしている。音楽、漫画、アニメ、ゲーム、オタクといった領域と、IT、メディア、AIなどのデジタル系プロジェクトを作り、日本のポップなパワーを世界とシェアするという活動を行ってきた。

中村氏と漫画の関わりでは、デジタルとのかけ算が多い。「デジタルマンガキャンパス・マッチ」では、漫画家の卵をプロにするという人材育成プロジェクトを行っている。国内外の漫画の学校138校が参加。作品は年に1200ほど集まっている。そこに、集英社や小学館など50の編集部が参加している。

海外展開では、「マンガフェスタ」などでフランスやカナダの関係者と、どうやって漫画に対してデジタル技術を使っていけばいいかという話しもしているそうだ。そこには、大友克洋氏、浦沢直樹氏、松本大洋氏といった漫画界の重鎮も参加していた。

タブレットが登場した頃、デジタルえほんを作ろうと進めてきている。そこで生まれたのが「デジタルえほんアワード」だ。今年の3月に開催された同アワードでは、34ヵ国から273作品が集まり世界最大のデジタルえほんイベントにまで成長している。

漫画は日本が本場で、そこから世界中に広がっていった。日本のアニメや漫画、ゲームを愛する人たちをオタクと呼ぶとすると、世界各地でオタクイベントが開催されている。パリの「Japan Expo」では20万人の人が集まっている。ロサンゼルスの「Anime Expo」には、35万人もの人が集まる。こうした世界中の日本好きなオタクイベントに訪れる人は、年間2000万人もいるのだ。

こうしたイベントの主催者は、有名大学の研究者が多い。そうした人たちを繋いでネットワーク化し、総本山を東京に作ろうというところから、「世界オタク研究所」を開設している。

漫画×テクノロジーの課題は?

漫画×テクノロジーの課題としては、やっとこれからというところまで来たと中村氏はいう。漫画は、今でこそ日本の宝のように扱われているが、規制の対象になっていた時代もあった。しかし、「Cool Japan」という言葉が2002年にアメリカから入ってきて、そこで自分たちはクールであることに気が付いたのだ。そこから10年が経ち、漫画がイケてるようになってきた。

漫画を生み出すクリエイターはたくさん存在している。しかし国内で成功しすぎたため、テクノロジーをうまく活用することができなかった。そのため、デジタルやテクノロジー面で、海外と比較して遅れてしまったのである。

たとえば韓国は紙の漫画はほとんどなく、ほぼデジタルだ。スマホで漫画を書いてスマホで読むというスタイル「ウェブ・トゥーン」が成功している。そして、そのビジネスを日本に逆上陸させてきているのだ。

日本は紙ベースの漫画で成功したがために、デジタルに切り替える必要が薄かった。その隙間を縫って、海外が追い抜いていった形だ。これは漫画だけに限った話しではない。教育も紙と鉛筆のアナログなスタイルで、戦後の日本は大成功をした。その反面、デジタル教科書やITに関しては、途上国と比較してもかなり後れてしまった。

漫画はデジタルで描く人も増えたが、基本の媒体は紙が多い。まだそちらの商売が持っているため、全ては切り替わらない。しかし、世界に出て行くには紙からデジタルに切り替える必要がある。アニメも同じで、どんどんデジタルに切り替わっている。それを伝達する手段もネットに移行しはじめてきている。

日本の小学校は、パソコンが5人に1台分しかなく世界最低レベルだ。しかし、新型コロナウイルスの蔓延で休校になり、一気に普及が進み出したのだ。

昔の漫画は、全然読んだことがなかったというちょまど氏。スマホの漫画アプリで読むことが多いそうだが、そこでは昔の漫画がある程度読めるプラットフォームになっており、続きを読みたいときは24時間待つか課金するというシステムになっている。こうしたものを通じて、昔の漫画も読むようになった。

こうしたアプリが存在しなければ、わざわざ紙ベースの昔の漫画を読む機会もなかった。アプリ内では、今日のオススメなどのバナーが並べられており、ついつい押してしまうのである。このように、テクノロジーの力で漫画業界を盛り上げているという面もあり、いいなと思ったそうだ。

海外のメンバーともやりとりをすることが多いちょまど氏だが、自分が描いた漫画の反応については、かなりいいという。たとえば、プログラム言語の「Python」を擬人化した漫画も描いているのだが、ただの可愛い女の子にならないように研究してから描くようにしているそうだ。

たとえばPythonのロゴは青と黄色のツートンカラーであるため、髪もそれに合わせてツートンカラーにしているし、瞳もオッド・アイにしている。Pythonは言語の仕様的に、インデントがかなり重要な要素となっている。インデントが崩れるだけでコンパイルエラーになってしまうほどだ。そこで、それに合わせ、インデントが大切ということで前髪をパッツンにしている。また、Pythonはデータ処理系のライブラリが多いので、計算していそうということでメガネ白衣にしている。

これを見た海外の人たちからは、「ジャパニーズカルチャーだね」「マンガマンガ」と言われかなり好評だった。こうした経験から、漫画は国境を越えると思ったというちょまど氏。たとえ言語に壁があったとしても、絵は受け入れてもらえるのである。

漫画を世界に持って行くにあたって、ここ2~3年苦労した点のひとつに、海賊版の問題があると中村氏はいう。漫画自体は世界中の人に愛されているため読まれるのだが、正規版よりも海賊版の勢いが強くビジネスにうまくのせることができない状況だった。

そこで、海賊版を潰すためにブロッキングなどの話しも出てきたが、表現の自由に反すると憲法問題にまで発展してしまった。その後、海賊版の問題に関しては下火になってきたが、漫画という表現とテクノロジーを合体してビジネスにしようとすると、こうした思いもかけないような大きな問題が出てきてしまうのだ。

また、「平成の30年間は1億総びびり症で、びびってやらないことが続いた」と中村氏は語る。新しいことがでてきても、「やらない」という選択肢を取るという教育が行われてきた。これは空気の問題でもある。元号が令和に変わり空気を変えようとしたときに、今回のコロナ騒動になってしまったため、もう1度空気を変えていくことに使っていきたいと考えているそうだ。

さらに中村氏は、年寄りの役割は目をつむることだと熱弁。これはやっちゃだめかなというようなことに、年寄りは口を挟みがちだ。そこで、口をつむろうぜということを、あちらこちらで言って回りたいそうだ。

漫画とAIやデータに真剣に取り組む必要がある

国のトップは、VTuberのようにみんな「バ美肉」すれば、国同士がもっとうまくいくのではないかとちょまど氏は語る。バ美肉とは、バーチャル美少女受肉の略で、美少女の3Dアバターを使ってそのキャラクターになりきって魂を入れることをさしている。見た目は美少女だが、中身はおじさんであることもあるため、カオスな世界でもある。

最後に中村氏が語ったのは、AIの重要性だ。漫画とAIやデータに真剣に取り組んでおく必要がある。最近AIが手塚治虫の新作漫画を描いたというニュースが話題になったが、これはまだまだやってみたの状態である。キャラクターやストーリーをどう作っていくのかというところについては、研究機関も巻き込んでいく必要がある。これは、他の国が気付いていない間にやらなければいけないと考えているそうだ。

PhotoWords 高島おしゃむ
コンピュータホビー雑誌「ログイン」の編集者を経て、1999年よりフリーに。
雑誌の執筆や、ドリームキャスト用のポータルサイト「イサオ マガジン トゥデイ」の
企画・運用等に携わる。
その後、ドワンゴでモバイルサイトの企画・運営等を経て、2014年より再びフリーで活動中。